『荘子 内篇』(講談社学術文庫)
978-4-06-292058-2
こころまかせのあそび
何者にも束縛されない、自由な生活の話
蜩と学鳩
師匠と弟子の関係
南郭子綦が師
籟は響くこと、人籟は人が奏でる楽器の音、地籟は大地の発する響き=風のこと
天籟が何なのかわからんcFQ2f7LRuLYP.icon
人籟を人籟として聞き、地籟を地籟として聞くことらしい
「夫れ吹たつるものは万ざまにして同じからざれども、其れをしてみなしたがことごとみおと己れに自わしむ。戚く其の自ずから取るなり。怒たてしむるものは、其れ誰ぞや。」(P52)
大いなる知は閑閑たり。小さき知は間間たり。大いなる言は炎炎(淡淡)たり。小さき言は詹詹たり。
要するに人聞の精神と肉体の営みの背後には、その営みを支配する絶対者が存在するかのごとくであるが、しかし、その絶対者は、「情ありて形なき」はたらきそのもの、変化それ自体であり、その真宰とは、自然―天―ということにほかならないのである。(P61)
其の形は化ろい、其の心は之と然じくおとろう。大いなる剥しみと謂わざるべけんや。人の生くるや、固より是くの若く芒えるか。其れ我れ独り芒いて、人はまた芒わざる者あるか。(P62)
指を以て指の指に非らざることを喩(あきら)かにするは、指に非らざるを以て指の指に非らざることを喩かにするに若かざるなり
指といえば親指も中指も薬指もその中に含まれるが、親指は中指とも薬指とも異なるから、親指は指でないと主張
神明を労しめて一つにせんと為めて、しかも其の同じきことを知らざるなり。之を朝三と謂う。(P78)
始めというもの有り。未だ始めより始めも有らずというもの有り。未だ始めより、夫の未だ始めより始めも有らず、も有らずというもの有り。(P92)
始めというもの有り=命題Aとすると
未だ始めより始めも有らず=¬A
夫の未だ始めより始めも有らず、も有らず=¬¬A
四つの説話
子は子の知らざる所を知れるか。
日わく、「吾れ悪んぞ之を知らん。」と。
然らば則ち物は知らるること無きや。
日わく、「吾れ悪んぞ之を知らん。
(…)
我れ自り之を観れば、仁義の端れめ、是非の塗すじは、奨然と殽り乱れたり。吾れ悪んぞ能く其の辯(辨)を知らんや。」と。
罔両と影
人生には限りがあるが、求める知識は限りない
限りのあるもので限りないものを追うのは危い
しかる已なるに、知を為る者は殆きのみなるかな。善を為うも名に近づくことなく、悪を為うも刑に近づくことなかれ。督に縁うて以て経と為さば、以て身を保つべく、以て生を全うすべく、以て親を養うべく、以て年を尽すべし。(P140) こういうわけであるのに、知に身を委ねようとするのは危険この上ない。
善行を成すも名声に近づくことなく、悪行を成すも刑に近づくことなかれ
この善悪の督(中の意と注釈者cFQ2f7LRuLYP.icon)に従い、経と成せば、身を保ち、生を全うでき、親への孝養を尽くし、寿命をまっとうすることができるだろう
料理を職業にする丁という男
学び始めの頃は、牛でないものはなかった。全部牛にしか見えない。
三年経ってのち、ようやく牛の部分が目に見えるようになった。
最初よりも微細に観察できるようになっているcFQ2f7LRuLYP.icon
彼の節には間有りて、刀の刃には厚みなし。厚み無きものを以て間有るところに入るれば、恢恢乎として其の刃を遊すに必ず余地あり。
然れ雖も族れるところに至る毎に、吾れ其の為し難きを見て怵然として為に戒め、視ること為に止まり、行ること為に遅く、刀を動かすこと甚だ微くす。
謀然として巳に解れ、土の地に委つるが知くなれば、刀を提げて立ち、之が為に四顧し、之が為に躊躇して志に満しとし、刀を善いて之を蔵む。(P146)
文恵君日わく、「善い哉。吾れ庖丁の言を聞きて生を養うすべを得れり。」と。 「為さざるなきの無為」
天の是を生ずるに独ならしめしなり。人の貌は与まれるものあり。是の以に其の天にして人に非らざることを知る。
人間の真の自由とは、必ずしも自己のあらゆる希求をそのまま現実におきかえる力に在るのではなくして、むしろ現実の一切を自己の必然として肯定してゆく心の逞しさに在るのではないか。(P150)
窮くることを薪を為むるに指すも、火は伝わるなり。(P153)
人間の社会という意味
八つの説話
衛の国へ行こうとする顔回、止める孔子
譆、若は殆らくは往いて刑せられんのみ。夫れ道は雑りけあるを欲せず。
(…)
いくら徳が厚く誠実が固くとも人の気持ちを知ろうとせず、名声を競うことなくとも人の気持ちを悟らずに、正論を以て暴君の前で述べ立てるのは、人の悪を以て己の美を誇る…人がいたらぬ点を指摘して、自分が優れている点をひけらかすことである。こういう輩を災人という。(菑は災と同じ義。わざわい。)
名と実とは聖人の勝つ能わざる所なり。
葉公子高と孔子
夫れ両れをも喜ばせ、両れをも怒らす言を伝うるは天下の難きものなり。夫れ両れをも喜ばすは、必ず美め溢ぎたる言多く、時れをも怒らすは、必ず悪し溢ぎたる言多し。
虎と人と類を異にするも、己れを養う者に媚くは、順えばなり。故に其の殺すは、逆えばなり。
顔闔と蘧伯玉
匠石とその弟子
南伯子綦(南郭子綦と同人)
支離疏
夫れ其の形を支離にする者すら猶お以て其の身を養い、其の天年を終うるに足る。又況んや其の徳を支離にする者をや。
孔子と狂接輿
已みなんかな、已みなんかな、人に臨むに徳を以てす。殆いかな、殆いかな、地を画りて趨る。
嗟乎、夫の造物者、又、将に予を以て此の拘拘を為さんとす。
得るものは時なり。失うものは順りあわせなり。時に安んじて順りあわせに処げば、哀楽も入る能わず。此れ古のいわゆる県解なり。
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